Jonesと言われた男

家庭菜園を主に呟きますが、時には脱線するかも……

小説「真実」……第4回目

少し涼しくなってきたか……?

 

小説「真実」の連載4回目……読んでみてください。。。 

f:id:mituki2461:20200821123652j:plain

  午後9時、尾山は妻に、

「苦いコーヒーを頼む」

 と言って、2階の書斎に籠った。

 事件関係の書類見るのは、2年ぶりだ。

「なにが出てくるのだろう?」ワクワクした気持ちで、茶色大封筒から書類を出した。

 現役時代、上司から「尾山は、刑事になるために、産まれてきたような男や」と言われたことを思い出した。

 封筒から書類を出した途端に、インクと紙のにおいが漂った。

 尾山は、だれかに語り掛けるように呟いた。

「捜査書類は、行間を読まなければ、ダメだ……」

 尾山が刑事時代、部下に仕事を教える時、必ず言った言葉である。

 写真などと違って、書類は人間の思いで表現するもの。

 見る者、聞く者によって、書き方や表現が違う。

 本当は、書かなければならないことを、書いてない場合があり、主観で見たことを、客観で見たように書かれている場合もある。

 

 尾山は、ノートにポイントなどを書き写しながら、書類を読み続けた。

 途中、妻が立ててくれたコーヒーを口に運んで、脳を活性化させながら。

 2時間位書類を読んだところで、事件の内容がある程度把握できた。

 被害者である野村博73歳は、30年前に、「野村産婦人科医院」を自宅で開業、妻は5年前に病死、1人息子である長男の和博20歳は、県外の大学に在学中で。現在は1人暮らし。

 野村産婦人科医院のスタッフは、院長の野村博と、女性の看護師1名で、患者については、1日、1~2名程度。

 野村博は、妻と死別した後、三度の食事は仕出し弁当で、患者がいない時は、看護師に留守番をさせ、日中パチンコに行っている。

 3月17日、日曜日は、野村医院の休診日で、午後3時00分ころ、院長がパチンコ店から自宅の方向へ歩いているのを、パチンコ店の常連客が見ている。

 そのまま自宅へ帰っているとすれば、午後3時10分に帰っているはず。

 3月18日、月曜日、午前9時30分看護師が出勤。

 午前10時になっても、院長が診察室へ顔を出さないので、呼びに行ったところ、居間で、頭から血を流して、俯せに倒れている院長を発見。

 脈をとってみたところ、脈がなかったので、警察へ110番した。

 現場である野村医院は、一戸建ての住宅に付設して、診察室、待合室があり、住宅の出入口と診察室への出入口は別になっている。

 看護師が出勤した時は、診察室側出入口の鍵を開けて屋内に入っており、診察室、待合室の窓には、内鍵が掛かっているのを確認している。

 居室部分の鍵については、玄関ドアの鍵と、居間掃き出し窓ガラス戸のクレセント錠が外れている他、全ての窓は鍵が掛かった状態。

 院長が倒れていた居間は、10畳の部屋で、玄関から居間へ入って、右側は壁、左側は4枚引き戸の掃き出し窓になっている。

 壁に接して、腰の高さのサイドボードが置かれており、窓に接してL字型ソファとテーブルの応接セットが置かれている。

 掃き出し窓の4枚引き戸は、戸は閉まっているが、クレセント錠が掛かっていない状態。

 院長は、サイドボードとテーブルの間に、頭を玄関側出入口に向け、万歳をしたような形で、俯せに倒れて死んでいる。

 壁、天井、サイドボード、テーブルには、血が飛び散った飛沫痕があり、被害者が立った状態で殴られたことが分る。

 死者の頭頂部から出たと認められる、大量の出血の跡が、引き摺られたように床にあり、血の痕跡から、死者は、絶命するまでに、1メートル位這いずり回ったと認められる。

 床の血だまりの上に、高さ35センチの、観音菩薩のブロンズ像が転がっている。

 サイドボードの上に、観音菩薩のブロンズ像が置いてあったと思われる痕跡が、残っている。

 ブロンズ像が置いてあったと思われる痕跡の横に、縦18センチ、横16センチの木製枠の写真縦が、写真が伏せられた状態で倒れている。

 写真立ての写真は、野村夫婦と息子和博の3人が室内で並んでいる写真。

 解剖所見は、ブロンズ像が、頭頂部を殴打した凶器と考えて、矛盾しない。となっている。

 死体の、右手のひらの下に、ネクタイピン1個が落ちている。

 鑑識関係について、室内から何個かの足跡を採取しているが、全て被害者方のスリッパの跡で遺留足跡なしとの鑑定。

 室内から採取した指紋については、院長と看護師、それに、別居中の長男和博の指紋に一致するものがほとんど。

 凶器と認められるブロンズ像に付いていた1個の指紋が、宮脇の左手人差し指の指紋と一致したとの鑑定。

 室内の家具の引き出しなどについては、閉まったままで、物色の痕跡はない、となっている。

 野村医院の看護師立ち合いで実況見分しており、現金、預金通帳などは、盗られている様子はないが、貴金属などについては、院長がどのような物を持っていたのか分らないため、不明となっている。

 だれでも持っているのではないかと思われる、結婚指輪などが見当たらない。

 宮脇の自宅から、膝に血液が付着した、背広のズボンを押収しており、血液を鑑定した結果O型で、宮脇の血液型はB型との報告書がある。

 野村博の血液型はO型で、ズボンに付着の血液とDNA鑑定中となっている。

 宮脇を逮捕した時、宮脇の携帯電話を押収しており、携帯電話の履歴などを確認した結果が、報告書になっていた。

 報告書では、宮脇の携帯電話には、野村医院の電話番号が登録されており、4月1日午前10時5分、野村医院から宮脇の携帯に電話がかかっている。

 野村医院との電話で、履歴として残っているのはこれ1件で、他に発信歴も受信歴もない。となっている。

 

 宮脇を目撃したと言っている、近所の主婦の供述調書が2通ある。

 1通は、3月18日、供述人の自宅で、特捜の新谷係長が作成したもので、野村医院の、自宅玄関から出てくる男を見たとの内容。

 3月17日午後6時ころ、買い物帰りに、野村医院の前を通りかかった時、野村医院の自宅玄関から、男の人が出てきて、足早に駅の方に歩いて行った。

 その男は、年齢40歳位、身長160センチ位で、灰色の背広姿であったが、なにかしら背広が似合わない感じがした。

 手には、何も持たず、セールスのようには感じられなかった。

 男は、まわりを見渡すようにして歩いていたが、見られていることには気づいていなかったように思う。

 その男の目撃時間については、午後6時8分に間違いない。

 目撃した時、別の用件で友達に電話をしており、携帯電話の発信履歴で時間がはっきり分る。などと書かれている。

 調書の内容から、目撃情報を進んで警察へ連絡したのでなく、刑事が聞き込みに来たので話した。ことが分る。

 1通は、4月1日、警察署で、署の刑事が作成している。

 警察から「見てほしい男がいる」と言われて、警察署の調べ室にいる男の人を、透視鏡越しに見たところ、3月17日、野村医院の自宅玄関から出て来た人と、服装は違うが、同じ人に間違いない。目撃した男については、顔の印象で、背広の似合わない人との感じを受けて見ていることから、絶対に間違えることはない……。などと書かれている。

 尾山は、供述調書を読み終わってから、内心思った。

ーーこの目撃状況は、完璧や……

 

 尾山には、現場写真に写っているネクタイピンが、非常に気になった。

 その関係の報告書などを念入りに調べた。

 宮脇が、同じネクタイピンを、2年前の2011年3月20日、隣町のアクセサリー専門店「ヤマダ」で買ったことが、裏付けされている。

 裏付けが取れた捜査状況につては、

 最初、犯人の遺留品として、ネクタイピンの販売先捜査をしたところ、2年前に製造中止となり、販売数についても、1,000点以上を、全国の宝石店やアクセサリー店へ卸しており、県内の販売店までは特定できたが、購入者までたどりつくことは、出来なかった。

 遺留指紋の一致で、宮脇が容疑者として浮上したことから、再度県内の販売店について再捜査した結果、アクセサリー専門店「ヤマダ」で、同じネクタイピンを、宮脇に販売した時の伝票が発見された。

 ただ、同じ品物が、1,000点以上販売されていることから、同一品とは断定されないが、現場の遺留指紋と遺留品捜査で、同一人物の名前が出ていることから、遺留されたネクタイピンは、宮脇が購入したネクタイピンである可能性が高い。と書かれている。

 尾山は、思った。

ーーだれが考えても、そう判断する……

 

 被害者野村博の長男、野村和博の供述調書は、4月1日に作成されている。

 前段は、母が5年前に死亡した後、親子2人で生活していたが、2年前県外の大学に入学したことから、父が1人で生活するようになり、近況については分らないなどと書かれている。

 後段は、容疑者として、宮脇が浮上したことを知らされたことについて、述べている。

 宮脇の名前などは知らないが、和博が高校生の時、何度か父と宮脇が将棋を指しているのを見たことがあり、顔を合わせれば挨拶する程度に知っている。

 父と宮脇の関係について、詳しいことは知らない。犯人については、厳重に処罰してほしい。などと書かれている。

 

 死体の解剖結果については、死体解剖の鑑定書はなく、死体解剖立ち合い報告書のコピーしかなかった。

 それは当然で、県警では、司法解剖の鑑定嘱託は、1つの大学の法医学教室へ依頼しており、執刀をする松平助教授も忙しく、鑑定書の仕上がりに、早くて1カ月、遅くて2カ月位かかっている。

 鑑定書が出来上がるまでの埋め合わせとして、解剖が終わった後、立ち合いの検視官が、松平助教授から、解剖の所見を聞き取り、報告書として作成している。

 報告書は、あくまでも、捜査の参考にするだけで、証拠能力などはない。

 尾山は、刑事課長をしている時、松平助教授と何度か飲んで、お互いの仕事について語りあったことがある。

 死体解剖立ち合い報告書には、直接死因などについて「打撲部の脳挫傷によるショック死」「打撃作用は死者の前方から」「死亡推定時間は、3月17日午後2時から午後7時までの間」「作用を与えた打撃物は、解剖時に警察が持参したブロンズ像と考えても矛盾しない」などと書かれていた。

 解剖の所見から、「犯人は、被害者と正対した状態で、サイドボードの上にあった、観音菩薩のブロンズ像で、頭頂部を殴打して殺害した」と判断される。

 解剖時の写真などについては、便宜的に貼ったものが、カラーコピーされたものを見ることが出来た。

 

 宮脇の被疑者供述調書については、4月1日作成した、事実関係の調書1通と、4月2日作成した身上調書1通があり、いずれも、新谷係長が作成している。

 事実関係の調書に書かれている内容は、尾山が、留置場の診察室で聞いたことと同じようなことで、なんら参考にはならない。

 身上調書によると、宮脇は、農家の次男として出生し、高校卒業後、鉄工所の工員として働き、現在に至っている。

 家族については、19歳の未成年の時、高校の同級生と結婚して所帯をもったが、妻は妊娠が原因で死亡しており、その後独身生活を送っている。

 尾山は、全ての書類について一通り目を通し、必要な部分をノートに書き留めた。

 両手で顔を覆いながら、考えを巡らせた。

 おそらく、捜査本部は、背広姿で野村医院を訪問した宮脇が、何らかの理由で野村院長と、もめることになり、サイドボードの上にあった観音菩薩のブロンズ像を手に取って、野村院長の頭頂部めがけて、振り下ろして殺害し、玄関先から逃走した。もめ合いになった時に、野村院長の右手が宮脇のネクタイにかかり、偶然ネクタイピンを握った…… と、考えているのだろう。別に、そのように考えてもおかしくはない。

 しかし、尾山には、書類を点検したことにより、宮脇を犯人にするには、いくつかの疑問がある…… と、思えるようになった。

 1つは、居間の掃き出し窓のクレセント錠が外れていることだ。

 住宅部の玄関以外、全ての出入口や窓の鍵が掛かっているのに、掃き出し窓の鍵が外れている。

 院長が鍵をかけ忘れたか? 犯人が逃走口を作ったか? としか考えられない。

 宮脇が犯人とすれば、逃走口をつくる必要は全くない。他の部分の鍵は、しっかりとかけられており、院長のかけ忘れと考えるには、無理がある。

 2つは、犯人がブロンズ像で殴打した状況だ。

 被害者である野村院長の身長は、179センチ。宮脇の身長は、162センチ。身長差17センチ。宮脇が野村院長の前面から、ブロンズ像を振り下ろしても頭頂部にあたらないのでは?

 院長が前かがみになっておれば、可能と思われるが、体制としては不自然。

 3つは、凶器のブロンズ像の指紋の付着状況だ。

 検出された指紋は、宮脇の左手人差し指の指紋1個。宮脇はたしか右利き、両手でブロンズ像を握ったとしても、他の指の指紋がついてもいいのでは?

 考えられることは、倒れているブロンズ像に手をのせただけ?

 指紋に関しては、サイドボードの上に倒れていた、写真立てのガラスに、手袋痕1個が採取されている。

 現場臨場の警察官が、鑑識活動が入るまでに、写真を見るために触ったとも思えるが、その点確認されていない。

 4つは、被害者の死亡推定時間と宮脇が目撃された時間の齟齬だ。

 解剖執刀医の松平助教授の所見によれば、死亡推定時間は、幅をとって、午後2時から最長午後7時。

 宮脇が、被害者の自宅を出たのを目撃された時間が、午後6時8分。

 宮脇が院長の頭を殴打して、すぐに外へ出たとすれば、死亡推定として認定した最長時間までの午後7時まで、1時間もない。

 死者が這いずり回ったと認められる状態から、直接打撃を受けてから絶命するまで、どれだけかの時間差があると考えるのが自然。

 1時間弱の時間は、短すぎるのでは?

 疑問点解明のネックになっているのは、宮脇が野村医院へ訪問した理由を言わないこと…… どんな理由が考えられる?

 しかし、宮脇が、野村医院へ訪問しているのは事実で、本人はそれを認めている。

 訪問の理由を言えないことを加味しても、いずれの疑問も、宮脇の訪問とは関係のない事実。

「行ったら、死んでいた」と説明している、宮脇の話は、真実かも知れない。

 尾山は、ノートの最後に書いた。

ーー宮脇は、しろの可能性大……

 腕時計を見たところ、午前4時。

 寝室へ行ったところ、相変わらず妻は、寝息をたてて寝ている。

 ベッドに横になった途端に、眠りに入った。

 

 6

 4月3日水曜日、午前7時30分、警察署へ出勤した。

 警察署正面駐車場には、新聞、テレビの記者、カメラマンなどが多数集まっている。

 捜査本部事件の被疑者を逮捕した時に、必ず見かける光景だ。

 彼らは、逮捕された被疑者が、護送される映像を撮るのに、一生懸命になっている。

 護送する方としては、被疑者の人権を守るために、出来るだけ顔写真などを撮らせないよう配慮している。

 記者の中に、尾山が捜査一課特捜班長をしている時、夜駆け朝駆けで、自宅へ押しかけた記者も何人かいる。

 記者の1人が、声をかけて来た。

「尾山課長、検察庁へ行く護送車は、どこから出るのですか?」

「裏の車庫から出る。シャッターの降りた車庫の中で乗り込むので、護送車への乗り込みの映像は取れないよ」

「顔は、撮れますか?」

「護送車は、四方カーテンを下す。車は、裏の駐車場から正面に回って道路へ出る。敷地内でカメラを回したら、だめや」

 この程度のことは、隠すことでもないので、直接答弁した。

 警察組織は、報道対応の担当者が決まっており、本部であれば、広報課の広報官、警察署であれば、副署長が対応する。

 留置管理課長は、副署長の許可がない限り、記者に、ものを言ってはならない。

 留置事務室へ行ったところ、護送係全員が出勤していた。

 朝出発する護送は、送致と引き当たりの2件。護送計画については、前日作成して、署長の決裁を受けている。

 護送係を集めて指示をした。

「宮脇の送致護送は、報道関係がカメラを回しているので、顔写真を撮られないように注意すること。署から出る時は、問題はないが、検察庁へ入る時、裁判所の勾留尋問室へ行く時、いずれも外から見えるので注意してほしい。午前9時00分検察庁着の予定なので、余裕をもって8時00分に出発する。もう1件の、引き当たり護送は、現場で捜査車から降ろす場合もあるので、動静看視を確実に……」

 検察庁への護送は、運転手、護送責任者、護送員の3名で、1人の被疑者を護送する。

 窃盗被疑者の引き当たり護送は、捜査員が捜査車の運転をするので、護送責任者、護送員の2名で護送する。

 午前8時、護送の仕事からあぶれた小坂巡査と一緒に、護送車を見送り、事務室へ戻った。

 事務室内で、小坂巡査がコーヒーを入れ、

「宮脇の護送が終わるのは、何時ころになると思いますか?」

と聞いて来た。

「県下の、検察庁への護送が4件しかないので、午後3時ころまでには、帰って来るのではないか?」

「そうですね」

 

 宮脇の送致護送中の予定は、こうだ。

ーー護送車で検察庁へ着いた後、検察庁の庁舎内にある仮監で、検事からの呼び出しがあるまで時間待ち。

 仮監とは、仮の留置場のようなところで、鉄格子の外で護送員が看視する。

 検事の呼び出しについては、刑事課が持ってきた送致記録を一読した後になるため、一般的に午前11時ころ。

 検事の呼び出しで、検事の執務室へ行き、弁解などの聴取を15分位。

 検事の弁録を終えたら、再度仮監へ。

 仮監で、護送員が持参した弁当で昼食。

 その間に、検察庁事件課が、隣接して建っている裁判所へ、事件記録を提出して勾留請求をする。

 勾留請求を受けた裁判所は、護送員に対して、宮脇を裁判所の尋問室へ連れてくるよう連絡。

 連絡を受けた後、裁判所の勾留尋問室へ連れて行き、裁判官の尋問を受ける。

 尋問内容は、事件に対する弁解などの聴取と、勾留になった場合の連絡先の聴取。

 尋問を終えた後、裁判官が勾留の必要ありと認めれば、勾留状を発布する。

 護送員は、裁判官から勾留状と、事件記録を受け取り、宮脇と一緒に検察庁の仮監に戻る。

 護送責任者は、事件記録を検察庁の事件課に返し、宮脇に勾留状を執行する。

 勾留状の執行とは、勾留状を宮脇に見せ、書かれている内容、つまり、宮脇を警察署の留置施設に勾留する、ことを説明する。

 宮脇は、勾留状を執行された時間から10日間、警察署留置施設に留置される。

 午後3時ころ署へ帰れると思うが、検察庁や裁判所の都合で、午後6時ころになる場合もある。

 となっている。

 

 午前11時ころ、尾山は、携帯電話を持って警察署の裏庭に出た。人に聞かれたくない電話を掛けるために。

 電話を掛ける相手は、大学法医学教室の松平助教授。

 松平助教授とは、刑事課長時代に、解剖死体で分らないことがある時など、電話で聞いていたもので、先日も偶然、飲み屋で出会い、挨拶をしている。

 野村の死体解剖の件で、どうしても確認したいことがあったので、電話することにした。

「先生、警察の尾山です。少しいいですか?」

「尾山課長…… なんですか?」

「実は、先生が司法解剖した、野村博の遺体のことで、1つだけ聞きたいことがあるのですが、いいですか?」

「本当は、いいとは言われないのですが、難しいことでなければ?」

「一昨日、容疑者が逮捕されたことは、ご存知ですよね?」

「ニュースで見ました」

「先生、容疑者の身長は、162センチしかないのですが、所見の損傷をつけることは、可能ですか?」

「たしか、野村は180センチ近くありましたね。2人が床に直立した状態では、少し無理があるかもしれませんが、野村がしゃがんだ状態にあるか、相手が台のようなものに乗っておれば十分可能です。尾山課長が、あの事件やっているの……?」

「いや、先生、自分は2年前から、留置管理の仕事をしています」

「留置管理…… なに、それ」

「警察の倉庫番みたいなものです」

「なんで、そんなところに?」

「色々事情がありまして」

倉庫番が、なんで野村の解剖のことを?」

「話をすれば長くなるので、やめます。先生、今も夜の街へ出ていますか?」

「時々ね」

「又、会えるといいですね」

「訳ありの理由は、その時にでも聞きますか?」

「ありがとうございました」

 尾山は、相手が受話器を置くのを確認して、電話を切った。

 

 今日は、事務室に、護送係の小坂巡査がいるため、面会や差し入れの受付をする必要がなく、時間的にも余裕があった。

 午後は、1人で考える時間があったので、家から持ってきたノートを見て、尾山なりの、事件の筋読みをした。

ーー宮脇が犯人ではないとすれば、だれが犯人? 

 ノートの文字を目で追いながら、宮脇の名前が、捜査陣に浮上しない前まで、遡って考えてみることにした。

ーー宮脇でなかったら、泥棒の居直り?

 脳をフル回転している時、思い余って、

「こんなこと、儂が考えることでなく、捜査本部のひな壇に座っている連中が考えることや」

 と、思わず呟いてしまった。

「え…… 何ですか?」

 パソコンのキーボードを打っていた小坂巡査が、手を止めて、こちらを見ている。

 尾山は、照れ隠しをするように、

「なんか、夢を見ていたみたいや」

 と言って取りつくった。

「課長、どんな夢ですか?」

「あんまり、いい夢ではない。刑事をしていた時のことを、思い出していた」

「刑事と言えば、課長すごいですね」

「なにが」

「先日、検察庁の仮監で、各署から集まった護送員で話をしている時、課長の話が出ていました」

「あの場所は、護送が多くある時は、県下の警察官が3~40人位集まるところや。どんな、悪口を言っていた?」

「尾山課長を留置管理課長にした、県警の刑事部の幹部は、人を見る目がない。そのような人事異動をしているから、県内で発生した殺人事件が検挙出来ない」

 などと、先輩方が言っていました。

「儂のことは、ともかくとして、県警の捜査能力が落ちていることは、事実や。小坂巡査も刑事志望だったね…… これから君らの時代だから、しっかり頼むよ」

 

 引き当たり護送の護送員が帰ってきたので、小坂巡査は、車庫へ迎えに行った。

 同時に、尾山の、卓上の電話が鳴った。

 検察庁の仮監にいる、護送係長からだ。

「宮脇の勾留状の発布を受けて執行したので、これから帰ります。接見禁止も付きました」

 との電話だ。

 接見禁止とは、弁護人以外の者との面会を禁止する。との裁判官の決定で、検察官の請求で、裁判官が判断して決める。

 接見禁止処分は、捜査上の問題であるが、留置管理としては、接見禁止が付くと、毎日の面会の受付が、1件でも少なくなるので歓迎している。

 時計を見たところ、午後5時10分。

 宮脇が、警察署へ帰ってくるのは、午後5時40分ころになると思われた。

 車庫出入り口のインターホンが鳴ったので、車庫出入り口の電動シャッターを開け、護送車を招き入れた。

 宮脇は、護送車を降り、護送員とともに護送用通路を通って、留置場内に入った。

 事務室へ戻り、護送員に、

「担当検事だれ?」

 と聞いたところ、

「大島検事です」

 との返事だ。

「検事の弁録で、宮脇はどのようなことを言っていた?」

「犯罪事実の読み聞かせで、自分はやっていないと言っていました」

「それに対して、検事は?」

「簡単に宮脇の話を聞いて、『警察に良く調べてもらいなさい』と言っていました」

  検事調べの場合、護送員は被疑者の後ろに座っているため、取り調べ状況を全て見ることが出来、刑事志望の護送員には、勉強になる。

 裁判官の、勾留尋問については、尋問室で手錠を外して、護送員は、尋問中外へ出ているため、どのようなことが話されているか分らない。

 

 尾山は、護送係に色々確認したが、内心は、自分にも言い聞かせていた。

ーー担当が、大島検事なら、なんとか打開策が見えるかも知れない。

 午後6時30分、業務を終えて帰宅した。

 

ー第5回に続くー