生まれるべきして生まれた映画『とら男』⁉
今日は雨ですることもないので、
久しぶりのブログ更新です(すみません……)
8月6日(土)
渋谷ユーロスペースを初めとして、
全国に順次公開される
映画『とら男』……
今振り返ってみると、
この映画は『生まれるべきして生まれた映画』では……
と思われてならない。。。
なぜなら、
映画を作る「村山和也監督」と我が輩との関係において、
言葉では言い表せない不思議な縁があり、
一歩間違えていたなら、映画『とら男』は誕生しておらず、
村山監督の手によって、
全く違った映画が出来ていたのではとも思われる。。。
まず、我が輩が警察を定年退職するとき、
ある目的を持って「スイミングコーチ殺人事件」を題材にした本を書き、
それを電子書籍として公開したのであるが、
その案内を、当時パソコンのフェスブックに載せた。。。
パソコンでのフェスブックについては、
単なる興味半分で登録開設したもので、
開設した後、ほとんど見ることもなかった。。。
5カ月後、ガラケーの携帯電話に、
外出先でインターネットが見たくなり、
タブレットの購入を決めたのであるが、
タブレットでフェスブックの設定をしていたとき、
5カ月前の村山監督からのメールが入っているのを見た。。。
その内容は
「西村さま、私は松任市出身で映画監督をしています、村山和也と申します。
電子書籍読ませて頂きましてお話を直接お伺いさせていただきたく思いました。
ご連絡頂けると幸いです。よろしくお願いします」
と書かれていた。。。
我が輩は「5カ月前のメールの返信は失礼かな?」とも思いながら、
我が輩の携帯電話番号をメールで返信した。。。
★この点、
村山監督は「連絡が無ければ無いで良い……」と思っていたらしい。。。
その後、村山監督とは、電話で連絡を取り合うようになり、
村山監督が、最初に訪ねて来たとき、
「話の内容を録音録画させてもらってもいいか?」などと言うので、
「さすが映画監督だけあって、変わったことをするな……」位に思って、
3時間位話し合った。。。
一通りの話が終わった後、村山監督から、
「事件を題材にした映画を作ろうと思っているが、
今撮った映像を映画のエンドロールに使わせてもらってもいいか?」
と言うので、既に撮り終った映像でもあり「これ位なら……」と、
簡単な気持で了解をした。。。
したがって、この時点での我が輩の頭の中には、
「村山監督の作る映画は、プロの俳優が演技をし、
エンドロールに我が輩の話している映像が流れる映画」
とのインプットをした。。。
その後に一度「映画に使う場面が出来たので見て欲しい……」
と言って来たので、携帯のカメラで見せてもらった記憶がある。。。
それから1~2年、我が輩にとっては、長く感じたのであるが、
村山監督から「2日間のロケハンに行くので、1日付き合って欲しい」
との連絡が入り、「いよいよ映画作りが始まったか……」
との思いで、我が輩が協力するのは、
「撮影場所の案内と、撮影に立ち会って聞かれたことに答えるだけ……」
と思っていた。。。
ロケハン当日、レンタカーで、
村山監督とイヴゲニ撮影監督を後部座席に載せて運転しているとき、
「金沢フイルムコミッションには、親切にしてもらい、
虎男さんの家の準備も出来た。。。
空き家にはピアノもあり、共演の加藤さんにピアノを弾いてもらう……」
などと、二人の話の内容は、我が輩がW主演として出演する話し(@_@)
車を運転しながら、我が輩は一瞬頭がパニック状態。。。
「おいおい、話が違う……」と思ったが、そのことを言葉に出すと、
「直前まで準備をしている村山監督に、大変な迷惑をかけることになる」
と思うとともに「素人が映画の主演?……願っても出来ない経験では?」
とも思い直し、「なるようになれ」との気持ちで、映画出演を受け入れた。。。
★村山監督は、我が輩に「映画に出演して欲しい」と言って、
その了解を得ていたと言っているのであるが……⁇
我が輩の記憶では、聞いた覚えがない……(笑)
今、考えてみると、村山監督が撮影準備などをする前に、
出演の了解を求めて来たことを認識していたとすれば、
我が輩の当時の想いでは、
出演を断っていたのではないかと思っている……(笑)
このすれ違いは、天命か……⁇
ロケハン時に、積極的に協力をしてくれた、
金沢フイルムコミッションが、なぜか?
撮影直前に「協力出来ない……」と言って来たらしい。。。
撮影に入る直前に、
一番大事な場面に穴が開いてしまった。。。
これも、村山監督に与えられた試練の一つか……?
我が輩からは、
村山監督に「難産の子は、大きく育つ……」としか言えなかった。。。
以上、とりとめのない文を書きましたが、
映画『とら男』の誕生秘話です。。。